時間とかけっこをしているような忙しさ。時間を持て余し気味の当て所なさ。誰もが毎日、少しのとき、自分のペースで実のある時間を持てたらいいですね。静まって学び、黙想し、心通う友と語り合う。
宝物のいっぱい詰まった場所が、ここにあります。キリスト教について、聖書について、教会について、バプテストについて、教育について、音楽について、美術について政治について、倫理について、福祉について、災害について、読書について・・・。
キリスト教に馴染みの薄い方もどうぞ。クリスチャンの方もそうでない方も、知識のない方もすでに学ばれている方も関心のテーマを選んで、奮って御参加ください。
「ここ」と思われるところを、クリックしてみてください。どんな宝物が見つかるでしょうか。
【お知らせ】
160. 新年度も早2カ月が過ぎました。いかがお過ごしでしょうか。春から初夏へと向かうこのとき、どことなく軽やかな空気が感じられるようでもあります。ペンテコステ(聖霊降臨日)の主日も明後日に迫りました。
ただし、個人、地域、国家、世界がそれぞれに抱える矛盾や痛みを憶えるにつけ、依然として 多くを祈らされる日が続いています。一日も早く、癒やしと平和をもたらせますように、失ってならぬものを失うことなく。
159. バプテストの信仰とその教会の在り方を神学的かつ教育的な視点から論じて、当該分野で必読の古典的著作となっている フィンドリー・B. エッジ著『活ける信仰を求めて』。その全訳連載の「第2章」3回目を掲載いたします。古典なればこそ また、時代を超えた本質的な問題が提示されてもいます。極めて今日的な響きを持つその問いかけに いま一度 耳を傾け、課題をめぐる思索を御一緒に深められたらと思います。
なお、次回、「第2章」の訳出を終え、続けて「第3章」に進む予定です。 (2023年4月27日)
157. 3月も数日を残すのみとなり、年度替わりの時を迎えようとしています。本年は 新年度第一の主日(4月2日。棕櫚の主日)から受難週に入り、十字架の金曜日(同7日)を経て、復活のイースター(同9日)へと向かいます。信仰の有りようをいま一度 吟味し、生ける主から 新たな思いと力を頂く時にできればと願います。年度替わりの時期なればこそ、せわしさのなか、逆に ひと時 静まって、信仰の原点へと心を向け直すことが大切なように思われます。
156. レント(受難節)に入り、主の十字架のその時へと歩を進めています。十字架への道を 主の足どりを追うようにしてなぞるとき、出来事の重さに心を深く刺されます。すべての人の有りように迫りきて、そこにいのちを注いでくれる、省察と恵みと感謝のレントとなりますように。
全訳連載中のエッジ著『活ける信仰を求めて』の今回分を掲載いたします。前回の続きで、第2章の2回目です。時間的な関係で、今回はわずかな量しか訳出できませんでした。御了承いただけると幸いです。ただし、エッジの論点は一貫して、信仰の原点を探り、その本質を問うことにあります。体裁を整えることに傾き、内実としての信仰に誤解や歪曲、矮小化を生じさせかねない事態への警鐘とも言えるでしょう。そのような 時代を超えた大切な問いかけに、御一緒に耳を傾けられたらと思います。
155. 2023年の新年も早一月が過ぎ、すでに2月に入りました。本年は2月22日が灰の水曜日で、レント(受難節)の初日となります。そこから、棕櫚の主日(4月2日)と洗足木曜日(同6日)の受難週へと向かい、十字架の金曜日(同7日)を経て、復活のイースター(同9日)を迎えることになります。イエス・キリストの公生涯が凝縮される、その頂点の時とも言えるでしょう。年度替わりを跨いでの時でもあり、主の御業に想いを深くし、この時を過ごしたいと思います。
「ヨハネによる福音書」の連続講解をお届けします。今年最初の掲載は「6章34〜40節」ですが、五千人の給食から始まる6章は 章の全体がひと括りの出来事ですので、その繋がりを憶えながら読み進めたいと思います。そこで何を語りかけられるか、御一緒していただければ幸いです。
154. イブの礼拝が終わり、明日はいよいよ、クリスマス当日の主日礼拝です。御子の恵みと平和が世に遍く届けられますように。良きクリスマスを、良き礼拝をおまもりください。
今年もまた、プリのモハンティ先生からクリスマスカードが送られてきました。笑顔いっぱいの子どもたちの写真も添えられています。インドのプリに想いを馳せつつ、共に主の御降誕をお迎えしましょう。
153. アドベント第4の主日を迎えようとしています。来る主日には4本目の蠟燭に火が灯され、クランツもいよいよ、キリストのそれを待つばかりとなります。クリスマスの主が来たり、混沌の世界にいのちの光を灯してくださいますように。
152. この年もすでにアドベントに入り、クリスマスの主の到来を心待ちにする時を過ごしています。闇が世を覆うかのような昨今、生けるいのちをもたらす恵みの光がそこここで灯され、主の救いが遍く届けられますように。
10月にお休みを頂いた「ヨハネによる福音書」の講解を掲載いたします。今月は「6章16〜33節」ですが、聖書本文の連続から言うと、2017年4月の掲載分(6章1〜15節)の続きとなります。少々面倒ですが、直前の1〜15節を振り返りながらお読みいただけると幸いです。
インマヌエルの主の顧みを頂き、どうぞ 良きクリスマスをお迎えください。 (2022年12月6日)
151. 2022年度も早 半期が終わり、後半の半年に入りました。困難や混沌がありとあらゆる形で渦巻くような昨今ですが、祈りあるところに主の顧みが豊かにありますよう お祈りいたします。
御好評を頂いていますエッジ著『活ける信仰を求めて』の新規訳出部分を掲載いたします。今月から「第Ⅰ部 組織制度偏重主義への趨勢」に入ります。今回はその初回で、「第2章 ユダヤ教はいかにして 組織制度偏重に陥ったか」の前半部分です。歴史から学ぶことがいかに大切か、と語りかけ、ユダヤ教、初期キリスト教、そして宗教改革以降と、それぞれの歴史を振り返っていきます。
閉塞する今日の教会情況に示唆を与えてくれる、鋭く重要な問いかけと吟味検討がなされている著作です。古くて新しい、古典にして 実に今日的なその内容をどうぞ、御精読ください。
(2022年10月24日)
150.「ヨハネによる福音書」の連続講解は、遅い夏休みを頂き、10月分を休載とさせていただきたく思います。次回は12月の掲載となります。よろしく御了解ください。 (2022年10月1日)
149. 8月を迎えました。週末から週明けにかけ、今年もまた、平和を祈念する広島(6日)と長崎(9日)の原爆記念日がやってきます。世界情勢が日を追って危うさを増すなか、人間の有りようとその隣人性について改めて考えさせられ、すべての尊厳を希求する思いをいよいよ強くさせられます。主よ、我らを平和へと向けさせたまえ。
145. 定期の掲載が遅れ、御迷惑をおかけしました。「ヨハネによる福音書」の講解シリーズ6月分をお届けします。6月は「5章19〜30節」がその箇所です。本文冒頭にも記しましたが、そこには事件もなければ譬え話もなく、何やら難しい、理屈っぽい言葉が並べられています(しかも、全体としては47節まで、2ページ近くにもわたって)。
144. お待たせしました。(アメリカ)南部バプテストの「今」を予見したような、エッジの古典的名著『活ける信仰を求めて』。その執筆の主旨と狙いとを記した「第1章」の訳出終了です(「第1章」(4))。エッジ曰く、「我々は・・・組織制度偏重の道を相当なところまで進み下ってしまった」「事態の深刻さからして、これに対処するには・・・抜本的な措置をもってしか始まらないであろう」。そして、こう述べます。「教会は今や、自身を吟味し直すという 痛みを伴うそのプロセスを通るよう求められていると言えよう」「活力を得る道はただ一つ、おそらくは・・・困難な道しかないのかも・・・。根元的な変革の道・・・それしかないのかも」と。
エッジはこうした神学的視点から 教会の教育的な在り方へとその論を進めますが、そこには、対岸の火事とも言ってられない 事の重大さとそれを論じる論考の鋭さがあります。ぜひ、引き続き御精読ください。 (2022年4月27日)
142. 思想的に右であると左であるとを問わず、ソフトなそれをも含めて、全体主義の脅威が深刻化しています。個々の一人を大切にするのが民主主義の根幹だとすれば、これと対極にあるのが、そうした個々を消去する全体主義ではないでしょうか。目を覆うばかりの惨劇が続くウクライナやミャンマーの悲劇も、その根底には、命の各個を押し潰す 同様な全体主義があるように思われます。悪魔的な惨禍が一日も早く食い止められますように。
ロシアによるウクライナ侵攻が全く非人間的に進められています。悪に飲み込まれる人の闇の深さを見せつけられる思いです。命が守られますように。さらにも大きな企てが止められますように。
(2022年2月27日)
140. 2022年の新たな年が明けて、早一月が過ぎようとしています。皆様、どんなスタートを切られたでしょうか。
本年最初の掲載は「ヨハネによる福音書」の講解シリーズです。2月は「5章1〜9節a」で、「ベトザタ の池の病人」の箇所です。出来事の全体は18節まで続きますが、後半は4月に予定しています。この年も聖書に親しみ、御言葉に聴きつつ歩みたいと思います。
感染、紛争、災害・・・と、多くの問題を抱えた年明けとなりました。天の御心の成らんことをと祈りつつ、御業の一端に加えさせていただきたいと願います。 (2022年1月28日)
139. 年の瀬も押し迫った12月29日(水)の今日、ギリギリの滑り込みで連絡が入りました。知る人ぞ知るブログとして隠れた人気を得ている綿菅道一氏の「呻吟祈求」が新作エッセイをアップしたとのこと。タイトルは「なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ」で、どうやらシリーズの書き下ろしになるとか。第1回目の今回はその「書き出し」の前半で、厳しくも鋭い指摘がなされていますが、綿菅氏自身の言葉を引用するなら、「底流には、キリストと呼ばれたイエスに心打たれるものを見、自らの生に意義深い何かをそこに感じつつあるぼくの実存がある」との由。そして、次のように添えて、次回に繋げておられます。「危機の所在を見て取り、そこを見据えて、先々の展望を拓いてもらいたい。〔キリスト教会への〕ぼくの真面目な願いであり、偽りなく期待するところである」と。
138. クリスマス、おめでとうございます。昨日はそれぞれに主の御降誕を感謝し祝うクリスマスの礼拝をまもられたことと思いますが、紛争・感染・災害・・・と相次ぐ惨禍のなか、この時をどのように迎えられたでしょうか。悲しみあるところに癒やしと慰めとがあらんことをと祈りつつ、世界の悲劇を憶えてそうするとともに、自身のすぐ隣りにもあるそれらにまずもって気づいてそうしたいと思っています。
皆様どうぞ、良き年の瀬、良き新年をお迎えください。 (2021年12月20日)
137. 2021年の本年も 昨日、アドベント(待降節)第1週の主の日を迎え、いよいよ クリスマスシーズンに入りました。キリスト教の暦では すでに、新しい年が始まったことになります。世界に惨禍と混沌の止まないこの時、クリスマスの主がいま一度 世に来たり給うて、新たな年に平和と平安とをもたらしてくださるよう 祈り願います。皆様 どうぞ、良きクリスマスをお迎えください。
134. バプテスト史の論文寄稿者に、新たな研究者が加わられました。同志社大学神学研究科の博士課程に在籍中の「山中(やまなか)弘次(こうじ)」さんです。日本バプテスト同盟の京都バプテスト教会に属しておられます。
133. 9月も末を迎え、定まらなかった天候も徐々に秋めいてまいりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。この年もまた、天災に加え、人災とも言うべき 人の闇のなせる惨禍が止まずに続いています。悲惨の渦中に置かれている人々の命の救いを願って、祈り求めたく思います。
(2021年9月28日)
130. 全国的に梅雨が明け、本格的な夏が到来しました。暑中、お見舞い申し上げます。今年も猛暑、酷暑の予報が出ています。皆様の上に主の守りと支えとが豊かにありますよう、お祈りいたします。
今日からいよいよ、オリンピックが始まります。新型コロナの感染再拡大と関係当事者らの不祥事という、異例の連鎖のなかでの開催です。しばらくは落ち着かない時が続くものと思われます。
129. 綿菅道一氏のエッセイ「呻吟祈求」に新作がアップされました。タイトルは「お薬師様もお不動様も、はたまたキリスト様もたじたじ?-新型コロナの衝撃とそのリトマス作用-」です。何やら意味深なタイトルですが、今回の新型コロナ騒動から浮かび上がったキリスト教会の重要事を、綿菅氏の求道的な目線で論じています。力(りき)が入ったのでしょうか。(1)と(2)というかたちで2つのファイルに分割してアップされていますが、その中の一節、「求道者は教会のことをよく見ている」との一言にはドキッとさせられます。考えさせられる書き下ろしです。 (2021年6月28日)
128.「ヨハネによる福音書」講解シリーズの6月は、通常の連続講解から一時 離れ、随想的な補筆を掲載しました。レント(受難節)からイースター(復活祭)を経て ペンテコステ(聖霊降臨日)へと向かう一連の時を想起しつつ、ヨハネ福音書 21章との関連で思わされたことをまとめたものです。「『ヨハネ福音書 21章』の追加編集について-補筆・・・随想的な-」とのタイトルで、教会の拠って立つ基盤について いま一度 考えてみました。「聖書読解余滴」と並行掲載してあります。御一読ください。
(2021年5月31日)
今回が加納先生による連載の最終回となります。ぜひ、御一読ください。加納先生の長期にわたる御協力に心より感謝いたします。 (2021年5月29日)
126. 昨日来 懸念していたプリへのサイクロン襲来は回避されました。下記「祈りのリクエスト」に応えてお祈りいただいた皆様に感謝いたします。
「里親の会」世話人会代表 松本素代美さんからの御報告を以下に転載いたします。
「プリ・キンダーガルテンスクールをご支援くださっている皆様 今、モハンティ先生より連絡が入りました。サイクロンの直撃は回避されました。被害もなかったそうで、安堵いたしました。皆様のお祈りに、心から感謝しておられました。2年前のサイクロンのトラウマが現地の方々には恐怖として残っているそうです。取り急ぎ、感謝のご報告をさせていただきます。感謝して」 (2021年5月27日)
124. フィンドリー・B. エッジ『活ける信仰を求めて:神学的アプローチによるキリスト教教育論』の全訳連載 第4回目をお届けします。米国南部バプテストにおけるキリスト教教育の古典的著作で、教派を超えて高い評価を得た著ですが、いよいよ本論に入ります。今月は「経験的性格の信仰か組織制度偏重のそれか」と題された「第1章」の第1回目で、執筆の契機となった問題の提起がなされます。執筆当時の1960年ごろ、南部バプテストは破竹の勢いで教勢を伸ばしていました。しかし、その裏にいかなる危うさが潜んでいるのか。エッジの論述はそこから始まります。
今日の日本の諸課題にも通じるものがあるように思われます。バプテストの健全なる伝統がなおも息づいていた当時の著作です。ぜひ、御一読ください。 (2021年4月28日)
123. 長らくお待たせいたしました。「使徒言行録」連続講解説教の再開です。本務多忙のため 御担当の金丸英子先生が掲載を休止しておられましたが、このたび 再開の態勢が整い、再び御寄稿くださることになりました。再開第一回の今月は、「1章21〜26節」がその箇所です。初代教会形成の足跡を辿りつつ、そこに響く神様からの語りかけを御一緒に聴き取っていければと思います。そして それを、今この時の私たちの教会の現実に重ね合わせ、そこから 大切な何事かを考え合えればと願っています。今後の連載に御期待ください。
なお 別件ながら、現在、世界の各地で大いに懸念される事態が生じています。人々の生命・人権・尊厳の保護・保障が緊急に求められる事態です。バプテストとの関連で言えば とりわけ、プリ・キンダーガルテンスクールのあるインド(新型コロナの急拡大)とバプテスト信徒の多くいるミャンマー(政治的抑圧・暴力)の現状が危惧されます。ぜひとも 情況を注視し、祈りを熱くいたしましょう。
(2021年4月25日)
122. 金丸英子先生の訳出によるB. R. ホワイトの連載第6回目を掲載しました。バプテストの特徴は「一色でなく、いろいろあること」と、よく言われたりします。それはたしかにバプテストの特質の一面をうまく言い当ててはいますが、しかし ただ「いろいろある」だけでは、バプテストが教派としてグループを形成し、苛酷な歴史を生き抜き、今に至るまで その足跡を刻み続けている事実を説明するには不十分と思われます。バプテストをバプテストたらしめる共通の基盤とは はたして、何なのでしょう? バプテスト史の研究で古典となっているホワイトの著作『17世紀イギリス・バプテスト』に当たりつつ、御一緒にいま一度、歴史的に考察できたらと思います。バプテスト教会の生命線と活力は、その辺りにあるのかもしれません。 (2021年4月18日)
121. バプテストフォーラムに新たな御寄稿が寄せられました。関東学院大学の村椿真理先生からで、「英国バプテストと奴隷問題-18世紀バプテストの奴隷制度問題へのかかわり-」と題された論文です。冒頭の「1. はじめに」には、次のように記されています。「とりわけアメリカ南北戦争とのつながりではバプテストと奴隷問題がこれまで詳しく扱われてきたが、そもそもこうした問題に対して、英国本国のバプテストは初めにどのような対応をとっていたのか、先行研究も・・・多く見出すことはできない」。この意味で、御寄稿の論考は貴重かつ興味深いものとなっています。研究結果から指摘しうる事柄と現代に繋がる課題についても、結語の「5. 現時点でのまとめ」で言及されています。
信仰と宣教をめぐるバプテスト教会の理解について様々な示唆を与えてくれる論考です。ぜひ、御一読ください。 (2021年4月1日)
120. 2020年度も3月の末を迎え、年度替わりの時となりました。依然として新型コロナの騒動に揺れるなか、新年度のスタートも例年とは少しく異なるものとなるのでしょうか。いみじくも、新年度はその最初の主日がイースターで、私たちはまさに今、主イエスの受難から復活へと続くその時を過ごしています。その出来事に心を据え、そこからまた新たな歩みに押し出されたいと願います。皆様どうぞ、良きイースターをお迎えください。そして、良き新年度を始められますよう、主の顧みと導きとをお祈りさせていただきます。
119. 2月17日(水)の「灰の水曜日」から始まった本年の「受難節」。4月3日(土)のイースターイブまで続きますが、私たちは今、その最中(さなか)にいます。受難の十字架へと向かうこのとき、皆様、いかがお過ごしでしょうか。十字架に向かって歩まれる主イエスのお姿を想い浮かべつつ、それはいったい 何のためのどのようなものだったのか、その意味するところに いま一度、静かに深く心を寄せたいと思います。
117. 新型コロナ2度目の緊急事態宣言が全国10都府県で延長されました。3月7日までの一カ月がその期間ですが、先の見通しはそう容易でなさそうです。そんななか、その意味合いと重要性をめぐってますます自問・再考させられているのが、礼拝に「集う」ということではないでしょうか。
116. 新型コロナの感染再拡大にともない、二度目の緊急事態宣言が全国11都府県に出されました。収束の見通しがいまだ不透明ななか、諸教会・伝道所の先行きが支え守られますよう、主の顧みを祈り求めるばかりです。
115. 明けましておめでとうございます、とも言えない新年の幕開けを迎えました。新型コロナの拡散が、抑制どころか、いよいよ爆発的な局面に向かうなかでの年明けとなりました。新しい年・2021年が、ワクチンの広範な普及も得て、先行きの展望できる一年となりますよう、主の豊かな顧みを祈るものです。
それにしても、心置きなく集うことが難しく、礼拝にも様々な制約が生じている現状を経験するにつけ、私たちはこの間、主日の礼拝というものをどのように理解してきたのか、また今後、どのように考えてゆくべきなのか、原点に戻っていま一度、自問する必要があるように思わされています。事をIT技術の単なる活用論議に終わらせるとしたら、今回のコロナ騒動から学ぶべきを学ばず、教会の内実の空洞化をもたらすものにすらなるように感じられます。コロナ収束の後、私たちの教会ははたして、どんな場所になっているでしょうか。
114. クリスマス、おめでとうございます。この日、私たちに与えられた御子イエス・キリストを心の内に迎え、その御前に静まって 感謝の祈りを献げたいと思います。様々な災厄や矛盾、困難、混乱のなか、何とも言えぬ閉塞情況が広がっていますが、そのような時にあっても、御子は私たちのもとにお生まれになられました。いやむしろ、そのような時だからこそ、御子は私たちのところに来てくださったのではないでしょうか。このとき、御子の持ち来たれる幸いが世にあまねく届きますように。その幸いを届ける務めを教会が十分に果たせるように、とお祈りいたします。
113. クリスマス間近のこのとき、いかがお過ごしでしょうか。来る13日(日)は、アドベント第3の主日。翌週20日(日)はアドベント最後の主日で、多くの教会でクリスマス礼拝がもたれることと思います。2020年のこの年は、人として生き・生かされるうえで、精神的のみならず、肉体的にも、また社会的・政治的にも様々な課題を示された年となりました。このとき、主の平安と平和とが格別に備えられ、必要な救いがあまねく届けられますように。
12月の「ヨハネによる福音書」は4章に進み、「4章1〜26節」からです。どうぞ、御一読ください。
今年も残るところ、20日となりました。引き続き、主の豊かな導きと祝福とをお祈りいたします。
(2020年12月11日)
112. 本年もアドベント(待降節)間近の時節となりました。2020年の今年は、来る11月29日(日)がアドベント第一主日です。コロナ禍の影響が長引き、各種の制約が続くなか、だからこそかえって、おまけのあれこれを削ぎ落とし、教会を教会たらしめる中心の事柄に集中できるか。アドベントからクリスマスへと向かうこのとき、今年はとりわけ、そのことを問いかけられているように思われます。
少し早めですが、加納政弘先生の「旧約各所」12月分をお届けします。「イザヤ書 9章1〜7節、マタイによる福音書 1章18〜25節(口語訳聖書)」からのクリスマスメッセージです。クリスマスの出来事に思いを傾け、恵みの語りかけに静かに深く耳を澄ましたいと思います。 (2020年11月21日)
111. お待ちの方々も少なくなかったことでしょう。ほぼ一年ぶりの書き下ろしとなりましたが、綿菅 道一氏のブログに新作のエッセイがアップされました。タイトルは「『イ』音の後退と『かな』『とは』の拡散-言語文化に見る時代精神点描-」で、言葉を扱う綿菅氏の感性躍如といったところでしょうか。久しぶりのアップとなった理由についても触れておられます。教会にとっては少々耳の痛い一節もありますが、御一読のうえ、言及の課題について御一緒に考え合えたらと思います。 (2020年11月6日)
107. インドにおけるプリ・キンダーガルテンスクールの働きを憶え、日ごろより 多くのお祈りと御支援を頂いていますこと、心より感謝いたします。
モハンティ先生より最新の報告写真が届きましたので、掲載いたします。地域への食糧配布支援活動を始められたとの報告です。御覧くださり、引き続き御支援を頂ければ幸いです。 (2020年9月2日)
106. 昨年10月よりスタートさせたキリスト教教育論の翻訳連載を今月より正式に開始いたします。原著は米国南部バプテストにおける当該分野の古典的著作で、Findley B. Edge, A Quest for Vitality in Religion: A Theological Approach to Religious Education, Nashville: Broadman Press, 1963.。刊行時、教派を超えて高い評価を得た書です。バプテストの教会教育を真摯に考究する者にとって、間違いなく「マスト(must)」と言える一書でしょう。今回の訳出は1994年刊の改訂版から行ないます。
概括的な解説と「扉」はすでに昨年10月に掲載のとおりですが、今回はこれに続けて「序」の(1)をお届けします。歴史的、神学的、教育的な、そして預言者的な論考をも行なっている本書を御一緒に読み進めていけたら幸いです。 (2020年8月28日)
104. 6月に予定されていた『「聖書」に聴く』の2編をお届けします(5月28日付【お断り】参照)。加納政弘先生の「旧約各所」と矢野の「ヨハネによる福音書」です。聖書箇所はそれぞれ、以下のとおりです。
御一読ください。
依然としてコロナ禍が続くなか、皆様も諸教会も日々の取り組みに苦闘されていることと思います。主の豊かな顧みをお祈りさせていただきます。御健康と牧会・宣教の業が守られますように。
(2020年7月29日)
101.【お断り】隔月偶数月に掲載中の「旧約各所」(加納政弘先生)と「ヨハネによる福音書」(矢野眞実)は来る6月が予定月ですが、編集(前者)・執筆(後者)担当の矢野が転居作業の渦中のため、6月の掲載は見合わせていただきます。8月には従前の日程に戻りますので、御了承ください。
(2020年5月28日)
83. 現在 編集作業進行中ですが、バプテストフォーラムの企画として、新たなセクションが設けられました。「バプテスト・スタディーグループ」という新企画で、主として堅実な資・史料を読み、感想や意見を交換することで、バプテストの信仰と教会について考え合うことを目的にしています。第1回目の文献資料は R. Wayne Stacy, ed., A Baptist's Theology, Macon: Smyth & Helwys, 1999. で、すでに2編の寄稿と1編の応答が寄せられています。
ぜひ、企画の概要と第1回のブックレビュー(寄稿継続中)を御一読ください。なお、編集作業の進展にあわせ、今後順次、御案内をする予定です。 (2019年7月28日)
プリ・キンダーガルテンスクールは、その大切な働きを継続・発展させるため、引き続き 御支援してくださる方々を必要としています。一人でも多くの方が「里親の会」に加わり、支援の輪を大きくしていただけるなら幸いです。 (2018年12月25日)
61. 本プロジェクトに温かな御支援・御協力を頂いたお二人の先生の訃報をお知らせせねばならないこと、寂しく残念なかぎりです。
・岡村 正二先生:9月17日に天に召されました。
・天野 有先生:10月17日に天に召されました。
生前の御協力を心から感謝いたします。御遺族の上に 天来の顧みと慰めが豊かにありますよう、お祈りさせていただきます。 (2018年10月23日)
なお、津田先生はTwitterもしておられます。あわせて御覧ください(Twitterへは、こちらから)。
(2018年4月14日)
田口先生は「私にとっての復活の恵み」ーコリントの信徒への手紙一 15章12〜20節ーと題し、御自身の歩みを支え続けてやまないイースターの出来事について心熱く語ってくださっています。先生の生き様の懸かったメッセージから、イースターの恵みを深く豊かに頂きたいと願います。「聖書」に聴く→聖書読解余滴→「私にとっての復活の恵み」とお進みください。 (2018年3月31日)
42.「インド『プリ・キンダーガルテンスクール』支援のページ」に、報告書や関連資料の掲載が始まりました。今月は「プリに赴いてー2018年2月 プリ・キンダーガルテンスクール訪問の記ー」で、2月に現地を訪れた参加者のお一人、小林 洋一先生(西南学院大学神学部 名誉教授、長住バプテスト教会会員)の訪問記を御紹介しています。現在、参加者全体の証し報告集を作成継続中で、追って掲載の予定です。プリの子どもたちへの教育と伝道の働きはすでに30年以上にわたって続けられており、これを支援する取り組みが継続してなされています。皆様のお祈りと御協力を頂けますなら幸いです。「テーマ別」→「希望にこそ、小さなものたちの未来が」からアクセスできます。 (2018年3月22日)
41. バプテストフォーラムに、新しい御寄稿者が加わってくださいました。日本バプテスト連盟の盛岡バプテスト教会で牧会されている小川 紋子(あやこ)牧師で、西南学院大学の大学院神学研究科に学び、2016年度に神学修士号を取得された新進気鋭の研究者です。第1回目の今回は、学位取得の修士論文を御寄稿いただきました。『ドイツのバプテスト教会とカール・バルトにおける〈教会と国家〉理解の比較研究-ナチス権力掌握の年(1933年)を中心に-』と題するもので、ドイツにおける、しかもナチス勃興期のかの地におけるバプテストの情況を論じた興味深い論文です。副査の金丸英子教授による査読講評も添えて掲載してあります。ぜひ、御精読ください。 (2018年3月21日)
32.「使徒言行録」の掲載スケジュールが変わります。これまで「隔月、偶数月」でしたが、御担当の金丸 英子先生がこのたび 西南学院大学の神学部長に就任され、本務で多忙になられたため、しばらくの間、「随時、不定期」の掲載となります。御了承ください。今月・12月は、休載とさせていただきます。 (2017年12月20日)
24. 綿菅道一氏のブログをお読みになっておられるでしょうか。「呻吟祈求:信仰と教会をめぐる求道的エッセイ」と題し、誠実な求道者の視点から 各種の文章をお書きくださっています。今回(11月分)は、「散文詩 いのち ありき」。混沌とした社会の今・この時を見詰め、そこにある教会に 自由詩の形で問いかけ、そして エールを送ってくださっています。信仰の本質に触れる言葉がちりばめられた詩文です。ぜひ、御一読ください。 (2017年10月26日)
23. お待たせしました。天野有先生の新訳によるバルト『ローマ書略解』の最新回をお届けします。第3回目の今回はいよいよ、ローマ書本文の講解に入ります(1章1〜17節)。「ローマ書」は一見 理屈っぽく厄介にも見えますが、信仰理解の宝庫と言えます。パウロの代表的書簡を通し、聖書の信仰についてしばし神学する。そんな贅沢な時間を持てるとは、なんとうれしいことでしょうか。
22. BFCにまた一つ、新たな連載が加わりました。「随想 わたしの聖書物語-人物記」がそれで、元・日本バプテスト連盟常務理事の金子純雄先生が御寄稿くださいます。旧約・新約の人物を適宜 選び、先生の個人的体験も交えて、聖書の出来事を物語るように綴ってくださいます。掲載は随時・不定期ですが、味わい深い名文で知られた金子先生の連載です。聖書の人物を訪ねつつ、私たちの信仰について御一緒に想いを巡らせたいと思います。「『聖書』に聴く」のセクションで、第1回は「アブラハム」です。
(2017年10月9日)
聖書部門のバルト『ローマ書略解』とあわせ、古典的著作から多くを学びたいと思います。
4.新約聖書「ヨハネによる福音書」の第2回目(6月分)をアップしました。セクションの進め方に親しむため、いま一度、順不同の箇所(13章21〜30節)から学びを行なっています。 (2017年5月25日)
2.本サイトの公開から、一月が経ちました。多くの方々に御活用いただき、うれしく、また感謝に思います。二月目を迎える5月は、御協力の関係者より、以下の御寄稿を頂いています。
・「聖書読解余滴」は、「ほんの些細なこと? いや、福音の命取りに」の2回目(フィリピの信徒への手紙 3章12節〜4章1節)です。
・「祈りの硯」は、5月もまた、書楽家・呑空先生から力作が送られてきました。主題は「空の鳥を見よ」(新約聖書)で、描書体の3作品から成っています。
その他、どのページにも奮ってアクセスされ、御活用・御参加くださいますように。
(2017年5月1日)
1.「BFC バプテスト・フェイスコミュニティー」の正式公開を本日より開始いたしました。すでに多くのアクセスを頂き、うれしく思います。このサイトが多方面で活用され、様々な取り組みに生かして用いられるなら幸いです。 (2017年4月1日)