時間とかけっこをしているような忙しさ。時間を持て余し気味の当て所なさ。誰もが毎日、少しのとき、自分のペースで実のある時間を持てたらいいですね。静まって学び、黙想し、心通う友と語り合う。
宝物のいっぱい詰まった場所が、ここにあります。キリスト教について、聖書について、教会について、バプテストについて、教育について、音楽について、美術について政治について、倫理について、福祉について、災害について、読書について・・・。
キリスト教に馴染みの薄い方もどうぞ。クリスチャンの方もそうでない方も、知識のない方もすでに学ばれている方も関心のテーマを選んで、奮って御参加ください。
「ここ」と思われるところを、クリックしてみてください。どんな宝物が見つかるでしょうか。
【お知らせ】
165. 昨日に続き、新たな掲載です。少なからぬ困難にみまわれながらも、インドのプリで長年にわたって教育に携わり、地域の宣教を進めてこられた「プリ・キンダーガルテンスクール」。8月の「ニュースレター」が届きました。
164. 8月も終わりを迎え、明日からいよいよ 9月に入りますが、異例の暑さは収まる気配がありません。くれぐれも御自愛のうえ、猛暑の今夏をお乗り越えください。
エッジ著『活ける信仰を求めて』の「第2章」最終部分と「第3章」導入部分をお届けします。時代がユダヤ教から初期キリスト教へと進み、私たちの本題に少しく近づいてきました。そうしたなか、第2章を締め括る著者エッジの言葉が静かな、しかし深く鋭い余韻となって響き残ります。「渦中の人々は、それ(組織制度の偏重)が彼らのその所で起こっていることに真実 気づくことがない」「それらは感知しがたい」「こうして、信仰が組織制度偏重に陥るも、人々はそれを知らずにいるようになる」。善意の営みの内にも生じかねない危険性を示唆するものですが、繰り返し再考すべき言葉ではないでしょうか。
(本翻訳連載に良き読者の方々を与えられ、感謝いたします。まとまった時間がなかなか取れず、翻訳作業が遅々としていますこと、お許しください。今後とも 丁寧な訳出に努めますので、引き続き 御愛読いただければ幸いです) (2023年8月31日)
163. 今年も再び、日本の「敗戦記念日」がやってまいりました。78年目を迎えたこの年、歴史に残したその傷跡から、私たちははたして 何を省み、何を学び取るでしょうか。戦争の惨禍がまたしても世界の各地に広がるこのとき、キリストに従う信仰者として、平和をもたらす務めについて いま一度、御一緒に考えられたらと思います。
162. 全国で梅雨が明け、いよいよ夏本番ですが、熱波等 異常気象が世界的に進行しているもよう。各地に広がる戦禍共々、私たち人間の危うさを考えさせられます。愚かさから賢さへと、利己から隣人愛へと転換できるよう、上よりの導きと力添えとを祈らされています。
8月の「ヨハネによる福音書」は「7章1〜9節」です。一連の出来事が続いた6章が終わり、新たな章に入りますが、冒頭から早速、どこか不可思議で分かりにくい言葉が語られています。人間の現実を暗示するようなやり取りでもありますが、そうした箇所から、私たちははたして 何を読み取り、どんなメッセージを聴き取るでしょうか。御一緒に読み進めていければと思います。 (2023年7月27日)
161. 今年もいよいよ、暑い夏の到来でしょうか。夏日、真夏日の知らせが各地から届くようになりました。体調管理に御留意のうえ、厳しい盛夏にお備えください。
夏に向かい、綿菅道一氏のエッセイにも熱がこもってきたようです。氏のブログに、新作がアップされました。御好評のシリーズ「なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ」の第4回目。今回は、教派を超えて進む牧師志願者減少の問題が主題です。題して、「なり手がいない:歯止めのかからぬ牧師志願者減」。求道者-御本人の言葉を借りれば、信仰未満の未信者-の目から見た、看過しえない そのポイントとは? いつもながらに辛口の文章ながら、信者以前の人なればこそ 気づいて思いをめぐらす大事な事柄というのがあるのかもしれません。諸教派共通の難題がテーマの今回、それははたして どんな・・・? (2023年6月29日)
160. 新年度も早2カ月が過ぎました。いかがお過ごしでしょうか。春から初夏へと向かうこのとき、どことなく軽やかな空気が感じられるようでもあります。ペンテコステ(聖霊降臨日)の主日も明後日に迫りました。
ただし、個人、地域、国家、世界がそれぞれに抱える矛盾や痛みを憶えるにつけ、依然として 多くを祈らされる日が続いています。一日も早く、癒やしと平和をもたらせますように、失ってならぬものを失うことなく。
6月の「ヨハネによる福音書」は「6章60〜71節」です。「五千人の給食」から始まった6章もいよいよ、その最終盤に至りました。ところが、それがなんと、「弟子たちの多くの者は・・・言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか』」(60)との、吐き捨てるような言葉から始まっています。これはいったい、どういうことなのでしょうか。聖書の語りかけを探りつつ、御一緒に読み進めていければと思います。 (2023年5月26日)
159. バプテストの信仰とその教会の在り方を神学的かつ教育的な視点から論じて、当該分野で必読の古典的著作となっている フィンドリー・B. エッジ著『活ける信仰を求めて』。その全訳連載の「第2章」3回目を掲載いたします。古典なればこそ また、時代を超えた本質的な問題が提示されてもいます。極めて今日的な響きを持つその問いかけに いま一度 耳を傾け、課題をめぐる思索を御一緒に深められたらと思います。
なお、次回、「第2章」の訳出を終え、続けて「第3章」に進む予定です。 (2023年4月27日)
157. 3月も数日を残すのみとなり、年度替わりの時を迎えようとしています。本年は 新年度第一の主日(4月2日。棕櫚の主日)から受難週に入り、十字架の金曜日(同7日)を経て、復活のイースター(同9日)へと向かいます。信仰の有りようをいま一度 吟味し、生ける主から 新たな思いと力を頂く時にできればと願います。年度替わりの時期なればこそ、せわしさのなか、逆に ひと時 静まって、信仰の原点へと心を向け直すことが大切なように思われます。
156. レント(受難節)に入り、主の十字架のその時へと歩を進めています。十字架への道を 主の足どりを追うようにしてなぞるとき、出来事の重さに心を深く刺されます。すべての人の有りように迫りきて、そこにいのちを注いでくれる、省察と恵みと感謝のレントとなりますように。
全訳連載中のエッジ著『活ける信仰を求めて』の今回分を掲載いたします。前回の続きで、第2章の2回目です。時間的な関係で、今回はわずかな量しか訳出できませんでした。御了承いただけると幸いです。ただし、エッジの論点は一貫して、信仰の原点を探り、その本質を問うことにあります。体裁を整えることに傾き、内実としての信仰に誤解や歪曲、矮小化を生じさせかねない事態への警鐘とも言えるでしょう。そのような 時代を超えた大切な問いかけに、御一緒に耳を傾けられたらと思います。
155. 2023年の新年も早一月が過ぎ、すでに2月に入りました。本年は2月22日が灰の水曜日で、レント(受難節)の初日となります。そこから、棕櫚の主日(4月2日)と洗足木曜日(同6日)の受難週へと向かい、十字架の金曜日(同7日)を経て、復活のイースター(同9日)を迎えることになります。イエス・キリストの公生涯が凝縮される、その頂点の時とも言えるでしょう。年度替わりを跨いでの時でもあり、主の御業に想いを深くし、この時を過ごしたいと思います。
「ヨハネによる福音書」の連続講解をお届けします。今年最初の掲載は「6章34〜40節」ですが、五千人の給食から始まる6章は 章の全体がひと括りの出来事ですので、その繋がりを憶えながら読み進めたいと思います。そこで何を語りかけられるか、御一緒していただければ幸いです。
154. イブの礼拝が終わり、明日はいよいよ、クリスマス当日の主日礼拝です。御子の恵みと平和が世に遍く届けられますように。良きクリスマスを、良き礼拝をおまもりください。
今年もまた、プリのモハンティ先生からクリスマスカードが送られてきました。笑顔いっぱいの子どもたちの写真も添えられています。インドのプリに想いを馳せつつ、共に主の御降誕をお迎えしましょう。
153. アドベント第4の主日を迎えようとしています。来る主日には4本目の蠟燭に火が灯され、クランツもいよいよ、キリストのそれを待つばかりとなります。クリスマスの主が来たり、混沌の世界にいのちの光を灯してくださいますように。
152. この年もすでにアドベントに入り、クリスマスの主の到来を心待ちにする時を過ごしています。闇が世を覆うかのような昨今、生けるいのちをもたらす恵みの光がそこここで灯され、主の救いが遍く届けられますように。
10月にお休みを頂いた「ヨハネによる福音書」の講解を掲載いたします。今月は「6章16〜33節」ですが、聖書本文の連続から言うと、2017年4月の掲載分(6章1〜15節)の続きとなります。少々面倒ですが、直前の1〜15節を振り返りながらお読みいただけると幸いです。
インマヌエルの主の顧みを頂き、どうぞ 良きクリスマスをお迎えください。 (2022年12月6日)
151. 2022年度も早 半期が終わり、後半の半年に入りました。困難や混沌がありとあらゆる形で渦巻くような昨今ですが、祈りあるところに主の顧みが豊かにありますよう お祈りいたします。
御好評を頂いていますエッジ著『活ける信仰を求めて』の新規訳出部分を掲載いたします。今月から「第Ⅰ部 組織制度偏重主義への趨勢」に入ります。今回はその初回で、「第2章 ユダヤ教はいかにして 組織制度偏重に陥ったか」の前半部分です。歴史から学ぶことがいかに大切か、と語りかけ、ユダヤ教、初期キリスト教、そして宗教改革以降と、それぞれの歴史を振り返っていきます。
閉塞する今日の教会情況に示唆を与えてくれる、鋭く重要な問いかけと吟味検討がなされている著作です。古くて新しい、古典にして 実に今日的なその内容をどうぞ、御精読ください。
(2022年10月24日)
1.「BFC バプテスト・フェイスコミュニティー」の正式公開を本日より開始いたしました。すでに多くのアクセスを頂き、うれしく思います。このサイトが多方面で活用され、様々な取り組みに生かして用いられるなら幸いです。 (2017年4月1日)