呑空作「時有」からのイメージリレー

ニコラ・クラニツォヴァー

 こんにちは、ニコレタです。(※1)

 今回はユキコと呑空氏のとのプロジェクトへの最初の寄稿であり、呑空氏の作品『時有』へのレスポンスとなります。

 

    Dear English readers: please see the English translation from the link below.

    "God's Tears", "Eternity exists" (Response to "The Time Exists")

    http://pbt-yugen.akacoa.jp/2018/08/nikoleta01/

 まず初めに、私はこのプロジェクトに参加できてとても光栄だとお伝えしたいと思います。私はこれを個人的なものであり、自然で、そして遊び心にあふれたものだと感じています。作品作りに適した良い条件だと言えるでしょう!

 私は日本語という言語も文字も分かりませんが、カリグラフィー、そして芸術は総じて、ある意味で非常に正確にコミュニケーションすることができるものだと信じています。私が今回の呑空氏の作品を見た時、その最初の印象は、私に並外れた感覚をもたらしました━━具体的に言うと、私の子供時代の記憶と結びつくものだったのです。

 私はある日、木々の中を歩いていました。そこは私が一人っきりになれる、お気に入りの場所でした。静かな霧が裸の木々の間に横たわり、薄明かりが一日ずっと、私の傍にありました。それは秋のことでした。私は地面の落ち葉を靴で掘り起こしながら、クルミを探しました。そして木の実をその腐った皮から引っ張り出しました。クルミは手のひらの上で湿っていて、冷たかった。木の実を探すことは喜びでした。その時突然、「死」の概念が、私の心をよぎりました。私はその時、私の親戚、両親、私の知る全ての人はいつか死ぬのだと悟ったのです。私はその霧の薄闇の中、クルミの皮で黒くなった指をして、立ち尽くしていました。私にはその世界が理解できなかったのです。私はただの小さな子供でした。永遠というものは、そうして私にとって、更に自然なものになったのです。

 これが、絵から受けた、まっさらな状態での印象でした。私はそのタイトルが「時有」だということを知りました。そしてユキコが聖書の箇所、コヘレトの言葉・3章の英訳を送ってくれたので、まず最初にそれを英語で読みました。時として、英語は私の母国語よりも明確なものなのですが、この時は違いました。私はこの箇所が正確に何と書かれているのかを知りたくなりました。私の英語の知識は不十分だったのです。私は別のチェコ語訳をインターネットで見つけました。

 正直に言って、私は聖書をちゃんと知りません。私自身はクリスチャンではありませんし、クリスチャンでもあります━━まるでこの、二律背反性に満ちているこのコヘレトの言葉・3章のように。どちらもほんとうなのです。私は洗礼を受けましたが、誰も私に、そうしてほしいかとは聞きませんでした。私は生まれたばかりだったからです。私は特にどの神も信仰してはいませんが、私を創った文化はキリスト教文化ですので、私は何かしらの形ではクリスチャンには違いないのです━━矛盾していますね。ともあれ私はコヘレトの言葉第3章を、非常に注意深く、読みました。

 私は、古い人類による古代の知恵を、この言葉から感じ取りました。この時ちょうど私は、人類の生活の特別な側面についての物語を書いているところでした。それは並外れていて、時を超越しているものであり続け、違う世代の様々な人々がそうした真実について同じ知恵、感情、そして経験をすることについてのものでした。私はこの聖書の箇所に感銘を受けました。それは私の現在にぴったり合うものでした。3章の11節が、私にとって共鳴を呼び起こす交差点となりました。永遠と人間、という主題です。

 それでもやはり、英語訳はチェコ語訳の聖書とは少し違う、ということが分かりました。そのため、私はこの文章の様々なバージョンを見てみることにしました。私は、いかに容赦なく、時が神の言葉の上を流れていったのかを見ました━━全ての言葉は歪みを受けてきたのです。言葉の意味や形は少しだけ、元の意味から変えられていました。文字や文章というものは、真実を捕まえて”凍結”させようという、人間の意図のシンボルです。文字は永遠という、二つとない、並外れた、不変のものについての概念を表していますが、それは決して人間の手でコントロールできるようなものではありません。物質世界において、変化というものは存在の核心です。変化する可能性は、自由意志の本質なのです。

 とはいえ、言葉というものは私たちの実質のほんの少しの部分しか現していません。書かれた全ての言葉は私の個人的な意味合いを持ち、私の頭の中や記憶から生み出された独自の内容に属しており、私自身の感覚や経験次第のものなのです。

 私は聖書をもう一度読みました。

 私は行の向こうに、私の科学のヒーローたちを見ました。最初にクルト・ゲーベル(数学者・論理学者・哲学者であり、人間の理性の限界を示した人)、次にアルベルト・アインシュタインと一般相対性理論という、現在というものが何の意味も持たない場所のことを考えました。私は、時間というものへの自分の認識について熟考しました。私は自分の人生を過去、現在、未来というものに分けることなど、絶対にできません。文法が不適当です。わたしの母国語はこれにふさわしくありません。この時期、私は頻繁に、未来として「思い出して」いる時間のことを認識しました。私は夫にこう言いました。「現在はここにあって…これは未来で…これを私は過去から思い出したの…」

 ゲーデルの論文、アインシュタインの論文、私の新作、日々の生活の中で体験する自身の奇妙な出来事、子供時代の死についての記憶、カリグラフィー、そして言語━━その全てから私は、コヘレトの言葉・3章を見つけることができたのです。

 これは科学者の間ではよくある現象でして、何かの概念について深く学んでいくと、それを自分にまつわる全ての動作の中や、全ての行に見出すという法則なのです。しかし、だからといってそれが自動的に真実であるということにはなりません。(※2) 私は自分が果たして、聖書から抜粋した文章に対し、一切の偏見や先入観なしに制作することができるのかという、ある種の疑念を抱いていたのです。

 その後私はツレス島という、人気のない場所に休暇に行きました。この、天国のような見た目の土地のエネルギーは、思いがけずありのままの状態でした。純粋な自然の中で、海辺で、私はマーラーの交響曲第7番と共に過ごしました。私は聖書のあの箇所を、もっぱら夜の時間に読み直しました。

 そして私は夢を見たのです。それは私が今まで見た夢の中でも最もパワフルなものの一つでした。恐ろしくて、奇妙で、有害なものでした。私は怖さで5時10分過ぎに目が覚めました。血管の中に、骨の中に、私はその全てを現実かのように体験したのです。

何の夢だったかは秘密です。私の枕元のノートにあるその夢のタイトルは「神の涙」です。

 私はただちに、自分は正しい方向にいると知りました。とても前向きな気持ちで。

 これが私が絵について言える全てです。私の指は、今度はインクで黒くなりました。私は人生の90%を、霧の中で生きてきました。私は自分のことを、光と闇がいかに交互に現れるかを見ている観察者であるように感じていますが、しかし最も大切な部分は、常にこの二つを超えた場所にあるのです。苦しい時もありますが、これはそれほど重要なことではありません。この状態は避けられないものです。これは当然起こるものだと予測し自分の仕事に集中していれば、その苦しみは無視することだってできるのです。なぜなら新しいものというのはいつだって、恐ろしいものですから。

「神の涙」

 この絵はドイツ語で書かれています。私が自分自身のためだけにカリグラフィーをする時は、大抵ドイツ語を使います。このテキストはニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」から。

  「君がいうようなものは、何もかもありはしない。悪魔もない、そして地獄も。」

「永遠は存在する」

 このチェコ語のテキストはほぼコヘレトの言葉3章から取りました。

  「神は全てを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」

 

※1 ニコレタは、ニコラの愛称。彼女はこのプロジェクトに、家にいる時のようなリラックスし、完全に自分でいられるという状態を感じているので、それを名前でも表したいとのことです。ちなみにゆき子がゆきこと表記を変えたりしているのも、同じような感覚です。

※2 ニコラは自然科学の博士号所持者であり、数学や哲学にも詳しいため、カリグラフィー作家でありながら、自然に科学者としての見解を多く述べます。彼女がこのプロジェクトの準備期間に何度も「疑った」というのは、それが真実であるかを検証するという、科学者としての習慣だったそうです。

(Nikola)

©ニコラ・クラニツォヴァー、2018

  ニコラ氏の作品へのコメント:呑空より一言

 

 ゆきこ氏の苦労がにじみ出ている、ニコラ氏のレスポンス作品が解説と共に届きました。私を引きつけるニコラ氏の魅力は、小柄で理知的な顔の内に秘められている宇宙的ダイナミックな感性です。小さな頃から自然の中で培われたその感性は、ふところ広く、意味深く、気品高いものです。彼女は「きのこ」に詳しいと聞いているので、私も是非一度講義を受けたいと願っています。

 皆さん、ニコラ氏の世界を、ゆっくりと味わいつくして下さい。

(Don.)

©DONKUU, 2018