「呻吟祈求:信仰と教会をめぐる求道的エッセイ」

 人生は誰にとっても、一度きり。それを少しなりとも意味あるものにしようとするとき、人は道々 問いかけ、考え、求めるのではないでしょうか。そのようにして、「キリスト教の信仰とは?」「その教会とは?」と、折に触れて思いを巡らすエッセイです。

 いわゆる受洗/受浸教会員とは微妙に違って、しかし真面目な求道の思いから記される文章がここにあります。とすれば、教会の内なる人々が気づかずにいる事柄がそこに書き留められているやもしれません。

(書き下ろしは随時、不定期) 

綿菅 道一(わたすげ・みちかず)

キリスト教論考家、作家、翻訳家

*本ブログは、ブログ提供元のプロバイダーがサービスの全体を停止し その業務を終了したため、2025年11月18日をもって終了となりました。書き下ろしを続け、信仰と教会の本質的諸課題を論じてくださった綿菅氏に心より感謝いたします。

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なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ(3-1)-民主主義の落とし穴とキリスト教の地盤沈下:底下げが進む諸教会(1)-                   (2024年4月)

なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ(2)-なり手がいない:歯止めのかからぬ牧師志願者減-                                                         (2023年7月)

なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ(1)-教会は誰でも・・・、でも あんまり・・・:インクルーシビティーの問題-                       (2023年1月)

なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ(0-2)-書き出し(2)-

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なんか おかしくない?:今日的キリスト教のこんなとこ(0-1)-書き出し(1)-

(2022年1月)

お薬師様もお不動様も、はたまたキリスト様もたじたじ?-新型コロナの衝撃とそのリトマス作用-(2)                                                                      (2021年7月)

お薬師様もお不動様も、はたまたキリスト様もたじたじ?-新型コロナの衝撃とそのリトマス作用-(1)                                                                      (2021年7月)

「イ」音の後退と「かな」「とは」の拡散-言語文化に見る時代精神点描-

(2020年11月)

ぼく(ら)の聞きたい説教(4、一応の締めとして)-同人仲間の酒席から-

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ぼく(ら)の聞きたい説教(3)-読解力と説教と:語る側の汗にも同情の思いが-

(2019年5月)

ぼく(ら)の聞きたい説教(2)-物書きの臭さに与することなかれ-(2018年5月)

ぼく(ら)の聞きたい説教(1)-聖なる睡眠導入剤?-(2018年1月)

散文詩 いのち ありき(2017年11月)

ぼくらが知りたいのは“ブラックボックス”の秘密なのだ(2017年9月)

「茶漬えんま」の悲哀(1)(2017年7月)

「茶漬えんま」の悲哀(2)(2017年7月)

「茶漬えんま」の悲哀(3)(2017年7月)

「茶漬えんま」の悲哀(4)(2017年7月)

教会に足が向かない男たち--エッセイの問いかけになにがしかの真理が?

(2017年5月)

求道者であるということ(2017年4月)