人生は誰にとっても、一度きり。それを少しなりとも意味あるものにしようとするとき、人は道々 問いかけ、考え、求めるのではないでしょうか。そのようにして、「キリスト教の信仰とは?」「その教会とは?」と、折に触れて思いを巡らすエッセイです。
いわゆる受洗/受浸教会員とは微妙に違って、しかし真面目な求道の思いから記される文章がここにあります。とすれば、教会の内なる人々が気づかずにいる事柄がそこに書き留められているやもしれません。
(書き下ろしは随時、不定期)
綿菅 道一(わたすげ・みちかず)
キリスト教論考家、作家、翻訳家
*本ブログは、ブログ提供元のプロバイダーがサービスの全体を停止し その業務を終了したため、2025年11月18日をもって終了となりました。書き下ろしを続け、信仰と教会の本質的諸課題を論じてくださった綿菅氏に心より感謝いたします。
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